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閑話休題 3、伊香保温泉 準備編

ウェブで乳がん経験者の闘病記を読むと

「乳房を切除したのでもう温泉に入れない!」

なんて絶望している人をけっこう見かけます

私は温泉地の生まれで小さい頃から日常的に温泉に入ってきたので
乳がんの手術をしたんだなという人も
大浴場で何度も見かけたことがあります

「あの人、乳がんだったのかな」

と思うだけなので、
ウェブで温泉の入浴を絶望している人を見ながら、
ちょっと考えすぎじゃないかと思ったのですが、
それは当事者じゃないからかもしれません

どちらにせよ、手術をしたらしばらく温泉には入れないでしょうし、
今のうちにどこかに行っておきたいなと思いました

で、近郊の温泉地で、いまだ足を運んだことのない伊香保温泉を思い出し、
手術の前の最後の温泉旅行をしました

さて、まずは伊香保温泉の下調べです
どこに行く場合でも、文学散歩を目指してしまう癖があるので、
どうしても目が行ってしまうが徳富蘆花記念文学館なのですが、しかし……

「徳富蘆花……『不如帰』かぁ」 



『不如帰』

徳富蘆花の文学散歩のようなものは以前にもしたことがありました
正確に文学散歩ではなく偶然だったんですが、
たまたま出かけた逗子で海の中から突き出る石碑のようなものを見かけ
よく見たら「不如帰の碑」だったというものでした

『不如帰』は明治の大人気大衆小説で、メロドラマの元祖とでもいうものです
未読ながら粗筋は知っていて

愛し合う夫婦

夫の出征

姑の嫁いびり

嫁、結核を発症

姑、息子に無断で嫁を離縁して実家に帰す

帰国した息子、妻を追い求めるがすれ違ってしまい、再び戦場へ

失意の中、妻死亡

という大変わかりやすいテンプレです
まあメロドラマの元祖なので、
これをテンプレにしたわけですから仕方ないですね

「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう!
生きたいわ!
千年も万年も生きたいわ!」

これはヒロインである浪子さんの言葉で
小説の中はもちろん、新派演劇ですっかり有名になった名セリフです
まあ、それはいいんですが……

「読む……のか?」

せっかく文学散歩をするのなら、
行先にちなんだ作品はぜひ目を通しておきたいところ
でもねえ、
これからがんの手術をしようって人間が読む本なのか、これ?

閑話休題 2、失われた時を求めて

5か月間の検査結果待ち、さらに手術の順番待ちの間にはもちろん本もたくさん読みました。

特に印象深かったのはプルーストの『失われた時を求めて』を読了したことです。



『失われた時を求めて』はそのタイトルのSFチックなイメージとは違い
難解な純文学作品として有名であり、ギネス認定の世界一長い小説でもあります
どのぐらい長いかをWikiで確認すると日本語訳で400字詰め原稿用紙1万枚ほどだそうです。
読み始めたのは乳がんの可能性を指摘される1年半ほど前なのですが、
前年の7月にSNSで『失われた時を求めて』の読書マラソンに誘われまして
誰かと競いながらであれば、この大長編への挑戦も楽になるだろうと
他の本の合間合間に、この大長編への挑戦を始めていたのでした。

がんかもしれない……
そう思うと、どうしても色々と考えてしまいます。

私は小さい頃から、本が大好きでした。
小学校に入学して、学校図書館に初めて入った時、思ったのは

(ここに並んでいる本を、全部読んでいいなんて!
私、卒業するまでにここにある本を全部読もう!)

でした。
しかしほどなく、自分の読書スピードでは
図書館の本をすべて読み切るなんて無理だと気づきます。

(世界中の本を読みつくしたい)

そんな夢も不可能だと思い知ります。
本の冊数は無限に近いほどあって、私が死ぬまでに
地域図書館の本を全部読み切ることすら不可能なのだと。

それでも、死ぬ前に

(ああ、あの本を読み切ってない。どんな結末だったんだろう?)

と思いながら死にたくはないとずっと思っていました。
だから

(これはどうやら、がんらしい)

そう思い始めてから『失われた時を求めて』を読むペースもぐんと早くなりました。
がんであっても、死ぬとは限らない。
乳がんの死亡率は今やずいぶん低い。
それでも、女性の死亡原因の上位に食い込む乳がん。

プルーストは病弱な身体を抱えて、途中で絶筆になるかもしれないという恐怖を感じながら
『失われた時を求めて』を執筆していたと言われています。
私はプルーストほど追い詰められてはいませんが、確実に読み切りたい。
病院の待ち時間や、移動時間を繋げて、4月が終わるころついに最終巻を読む終えました……。

『失われた時を求めて』の感想は、読んでもらうのが本当に一番なのではないかとですが
人は誰も死なずに永遠に生き続けるということなのではないかと思っています

人は二度死ぬという まず自己の死

そしてのち 友人に忘れ去られることの死

それなら永遠に

ぼくには二度めの死はないのだ

(彼は死んでもぼくを忘れまい)

そうして

ぼくはずっと生きている

彼の目の上に 



これは萩尾望都『トーマの心臓』
の冒頭にあった登場人物の遺書なのですが、
『失われた時を求めて』はまさに
人は誰かの中で永遠に生き続けるということを描いた物語でした。

思い出の中で人は誰も死なないのです
時間はすべて同時に存在していて、誰かの中でみな永遠に生き続けるのです…

プルーストの『失われた時を求めて』はその感覚を
立体的に実感を伴って体感できる物語で、読了後の感動はまさに読んだ人ならではのものです。
本当に、すごいとしか言えない大河小説。
そんな物語をいつ死ぬかわからない弱い体を抱えながら書き続けたプルースト。

(死ぬかもしれない……)

そんな心境だった私に、深く強く響いた物語でした――。

閑話休題 1、仕事のこと

リアルタイムの世界では現在、コロナで外出自粛真っ最中です。
出口が見えない毎日はまるで長いトンネルの中にいるようですが、
検査が続いたり、手術を待ったりの日々も、精神的には似たようなものでした。
外出ができるのがかなり優位ではありますが。

「がんなのはほぼ間違いないが
詳細がわからないので対応できない」


というのを5カ月。

私はフリーランスライターなので単発で仕事が入ってきます。

最初はまさかがんとは思わないので、普通に仕事をしていました。
しかし、細胞診→PETと検査が進むにつれ、
さすがにこれがただの間違いだと考えるのは
希望的観測が過ぎるなと言う気持ちになってきます。
検査結果がはっきりすれば即手術の可能性もあります。
となると、安易に長期間関わるタイトルに参入してしまった場合、
スタッフの皆さんに迷惑をかける可能性も否定できません。
そのためPETの結果が出た4月には
私はもう先の仕事はお断りすることにしました。

お断りしたタイトルの中には
好きな版権作品に関する依頼もありました。
著作の話もありました。
あれからもうすぐ4年になりますが、
チャンスの神様はやっぱり前髪しかないので(どう考えてもすさまじい髪型だ)
その時にお断りしたものが戻ってくることはありませんでした。

それは巡りあわせなので、考えても仕方ありません。
まあ正直、
まさかこんなに長いこと結果が見えないとは
思わなかったんですがね。


なんだか世界から自分だけ取り残されてしまったよう
不安な気持ちもありました。

手術だけですめばまだよかったのですが、
私の場合はそれなりに進行していたので、
化学治療と放射線治療、さらに現在も続く服薬治療のフルコースです。

(こんなふうに仕事から離れてしまって、もう現場に戻れないかもしれない)

そうも思いました。
 原因がこの病気なのかどうかはわかりませんが、
お付き合いがなくなってしまったクライアントもあります。

しかし、闘病中も今も、仕事の量を考えてくれて
お付き合いを続けてくれるクライアント、
新規にお付き合いを始めたクライアントがいます。

人としてもライターとしても
本当にみなさんのおかげで生きているのだなと、
たびたび思うのです。

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